“dotでシンフォニー”

私たちの創業者である原章は1957年(昭和32年)22歳の夏に伊那市本町3750番地にて印刷出版関連業者向けの写真凸版制作のため、三洋写真製版社として創業しました。
その後、1961年(昭和36年)に伊那市室町3750番地にて資本金30万円で三洋写研株式会社として法人開設。更に1967年(昭和42年)写真製版業に併設してグラビア印刷機の導入を図りながら三洋写真印刷工業株式会社として不況期には電子工業部門にも進出しました。高度経済成長時代には果敢な設備投資で事業の拡大を図り、1992年(平成4年)には創業30年を迎え社名を現在の三洋グラビア株式会社に改定し、翌年1993年(平成5年)に伊那インター工業団地に約7000坪の新工場用地を取得致し今日に至りました。

 

私たち三洋グラビアは創業以来、誰かに依存するのではなく“自ら受注し製造し納品する”『自立自走』の精神を大切にして、弛まぬ努力で65年に亘り走り続けて参りました。これまで歩んだ轍が明日へのエールとなって私たちを次のステージへと導いています。これまでの挑戦の日々が仲間の絆を深め勇気となって未来を拓こうとしています。

 

創業時に取り組んだ亜鉛凸版は最近では骨董品となりマニアの間では貴重品として取り扱われているようです。亜鉛版に感光皮膜をコーティングし写真のネガフィルムを密着させ紫外線で焼き付ける。焼付け後、図柄部分は硬化しているので未露光部分の感光膜を苛性ソーダ・水酸化ナトリムで現像し、水洗し乾燥させる…更に図柄部分の感光膜を完全に硬化させるために追い焼きをする。そして図柄以外の部分に硝酸液で腐食(エッチング)を行い…凸版が完成するのです。このプロセスを数冊の専門書を頼りに試行錯誤を繰り返しながら現在の三洋グラビアの礎が築かれました。ある意味驚異的な粘りだと思います。その当時にネガフィルムを作るために使用したのが現在WF2Fに展示している木製の湿式カメラです。言わば私たちの『原点』です!

 

時は1957年、終戦から12年、22歳の青年が仲間と共に“生きるため”…
ただそのために凸版制作に取組みました。夢や希望と言う世界ではなく、ただ存続し続けるために“自分で受注しデザインをして凸版を作り…飯田線と自転車で印刷所へ届ける”働き方改革もへったくれもない生きるためには徹夜など当たり前の世界…しかし22歳の青年と仲間たちの目は輝いていたし、かすかな記憶だけれど笑いが絶えない日々だった。人は誰かのために一生懸命に働くことで自信を持ち、笑いが溢れます。そして、そこには真心が育まれる~そんな生きる目的をダイレクトに肌身で感じられたのは私にとってラッキーであり幸福でした。
世界が変わろうとしているからこそ65年前の『原点』に立ち返るのが大切です。そして、輝く瞳で大切な人々のために究極のチームワークで存続し続ける努力を継続しましょう。
今年も一年間、三洋グラビアを宜しくお願い致します

 

三洋グラビア株式会社
代表取締役社長 原敬明
2023年1月吉日